家庭用全自動清掃機『リナコ』

『第五章 義理子先輩の疑惑』引用

5.2 ロボット開発の現状
 
 AIが高度に発展した現代において、見た目がロボットとはっきりわかる金属製のヒューマノイドロボットは結構普及している。一般家庭で見ることはほとんどないが、製造業、接客業、清掃業、工事現場、医療事業や介護事業などさまざまな分野で大活躍しているのだ。
 
 ただし、映画、アニメ、漫画、小説に登場するような人間とほとんど区別できないヒューマノイドロボット——ここではアンドロイドと称する——は、未だ世界で発表されていない。ロボット開発がそこまで発展していないからだ。
 
 アンドロイド開発には『不気味の谷現象』という課題もある。
 端的に述べると、一見して機械だと判別できるロボットの外見や振る舞いが人間に極めて近い場合、あるレベルに達すると不気味な印象を受けやすくなるという理論だ。
 一方、完全に人間と区別ができないアンドロイドが開発されたとして、『ロボット』だと暴露されなければ違和感はないのかもしれない。実例が無いため、推測の域を超えないが難しいところだ。
 この『不気味の谷現象』を背景に、ロボット開発企業は完全に人間と見間違うようなアンドロイドの開発をためらっている。
 
 ましてや、感情を備えるロボットなど夢のまた夢。
 だからこそ、超絶美人先輩がアンドロイドである可能性はほぼ無いといっても差し支えない。ただの天然キャラということもありうる。
 
 仮に彼女がロボットだとしたら、その頭脳は超高性能AGI——汎用人工知能——に分類されるだろう。あらゆる分野において、学習すれば人間と同等もしくはそれ以上のパフォーマンスを発揮するに違いない。
 
 2020年代から世界中で急速にAIが発展してきた。
 その頃に誕生したアラトはその恩恵を存分に受けており、日本の義務教育では『人工知能学』なる授業が始まったくらいだ。
 
 そんなわけで、アラトの世代以降、多くの若者はAIやロボット工学に関する基礎知識を備えている。
 
 シンギュラリティ、量子コンピュータ、ロボット工学三原則、ディープラーニング、ハルシネーション、フレーム問題、チューリングテスト、ウォズニアックテスト、トロッコ問題、不気味の谷現象など、基本用語についてそれなりに知識があるわけだ。

『第十七章 義理子先輩の不在』引用

17.1 義理子先輩の不在

 しばらくのあいだ、身体をベッドに預け静かにしていると、部屋に常設してある廉価版のお掃除ロボが、ウィーンと起動し勝手に部屋の掃除を始めた。
 上半身人型下半身車両の小柄な汎用清掃マシン。裾が足先まである長いスカート形状のプラスチックボディの下から四輪駆動のタイヤを覗かせる。
 頭部に人形のようなプラスチック製の女性の顔がある。冷たい印象の表情だが、フィギュアのように手の込んだ造りだったりする。
 そんなわけで、アラトが『リナコ』と勝手に命名しているのだ。
 
 アラトが無言で立ち上がりリナコの正面に立つと、お掃除ロボは清掃作業を中断した。両膝をついてしゃがみ、急にリナコの胴体部分にしがみついて苦悩を訴えた。
 
「寂しいよぉ~、帰りたいよぉ~、みんなに会いたいよぉ~」
 
 おもちゃの顔は無言でピクリとも反応しない。当然、会話する機能はいっさい無い。
 
「義理子先輩怒らせちゃったよ。ねぇ、どうしたらいいのかな? もう会ってくれないのかな?」
 
 アラトは涙目でリナコに語り続けた。お掃除ロボはホテルのお客様に怪我が無いように、ただジッとしているだけなのだが。
 
 海で遭難して無人島にたどり着き、そのあともたった一人でサバイバルしないといけないという気持ちになってしまっている。それは究極の孤独感。
 
話し相手が一人もいなければ、岩に顔でも描いてブツブツと語りかけるかもしれない。海岸で拾ったボロボロのバレーボールに名前を付け、家族のように一緒に過ごすかもしれない。
 
アラトも、それくらいに精神が崩壊しそうになっている。
そんな理由で、お掃除ロボ『リナコ』の存在はアラトにとっていい精神安定剤になった。
 
『第四十九章 アラトの第二回戦前日』引用

49.1 アラトの第二回戦前日

 独りになったアラトは、掃除道具専用の押し入れの扉を開き、そこに格納されているお掃除ロボ『リナコ』に目をやる。時折ではあるが、独りで寂しくなったらお掃除ロボに話しかけ、ストレス解消をしているのだ。
 
 単なる家電製品なので清掃作業以外何もできない。そしてアラトのグチを一方的に聞かされたところで、機械として損傷するわけでもない。つまり、聞き役としては最良の存在と言っていいだろう。ホテルの部屋にはほかに何もないのだから。
 
「リナコさぁ、聞いてくれる? まぁーた、ギリコがヤキモチ焼いちゃってさ、どうせ焼くなら焼肉にしろやって、言っといてよ。焼き魚でもいいけど」
 
 無言のリナコ。
 
「あーあ、なんだかさぁー、一人相撲なんだよねぇー、どんなに悩んでもさ。ホントわかんない……。ねぇ、ロボットの気持ちわかるなら教えてよぉー!」
 
 アラトは結局、グチグチと悩み事をたっぷり聞いてもらった。電源の入っていない無言のリナコに。
 
「ふぅぅぅー。いつもアリガトね、グチ聞いてもらっちゃって」
 
 話し終わったアラトはリナコの頭頂部をヨシヨシと撫で、感謝の言葉を述べてボヤキタイムを終了させた。

『第五十三章 麗倫の特訓』引用
 
53.1 お掃除ロボの悲劇
 
 ギリコが右手チョップを振り上げる。
 とその時、突如として小柄な人影が二人の間に割り込んできた。
 
「アラトさんの、バカァァァァァァ!!!」
 
 ギリコが空手チョップを振り下ろす。その手刀が小柄な人影に直撃した。
 
 その人影は廉価版のお掃除ロボ『リナコ』——アラトが個人的に命名した——だった。その一撃で上半身が真っ二つに分断されてしまった。頭部の女性型顔模型は潰されている。
 いつの間にか部屋の掃除を始めていたお掃除ロボが、運悪くギリコのストレス発散の餌食になってしまったのだ。
 
 ちなみに、お掃除ロボはホテル各部屋に常設してある上半身人型下半身車輪の汎用清掃マシン。
ふだんは、部屋に宿泊者がいない時間帯に勝手に起動して掃除するはずなのだが、なぜ掃除を始めてしまったのかアラトにはわからない。
 
 これまでアラトが暇なときに話し掛け、いつもグチの聞き役になってもらっていた。グチを沢山聞いてもらったら、必ずお礼を述べて頭ナデナデしていたのだが、特別な存在としてアラトを守ってくれたのかもしれない。


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